縁巴堂塾
2026.6.20 ソーネおおぞねホール
テーマ「障害者差別に抗う歴史を築く」
AJU自立の家 山田昭義さん わっぱの会 斎藤懸三さん
大学時代に参加したボランティア活動。全国でコロニーが設立され、障害者だけがまとめて収容される事に疑問を抱き、仲間とともに全国をまわり寄付を集めた。共働を目指し。学生運動が盛んな中で、市民の応援も大きく、500万円が集まった。候補に挙がった滋賀の場所はやはり僻地。ここではない! しかし仲間たちは卒業とともに就職していった。せっかくの市民の好意も使い果たしてしまった。好意にどうにか応えないと… 斎藤さんの思いは昭和区滝子、街中での障害者との共同生活、共働作業所へとつながっていく。
15歳に海で頸椎骨折し四肢麻痺となった山田さん。車いす生活となる。当時45キロだった山田さんを75キロあったお母さんはおぶった。勉強しなくてはいけないと、東京へ何度も通った。リハビリテーション、NHK通信、中央大学法学部へと。
日本で初めてできた重度障害者施設希全寮で出会った中村力さんに引っ張られ、重度障害者の生活をよくする会を発足。山田さんは20歳でクリスチャンに。前提として愛の実現運動があった。
1970年代前半。世の中は障害者差別があたりまえであった。精神薄弱者と表現していた。車いすでバスに乗るなと言われた。
50年の年月を経て、世の中は大きく変わった。車いすでも公共交通機関を利用できるようになり、働く場所も増えている。
お二人の共通性。それは、運動体として、事業体としてを、常に大切にしてきたことではないだろうか。それと、情=ゆるぎない反差別意識。
制度を作らせてきた、行政に常に疑問をぶつけてきたブルドーザーの二人の時代から次の時代へ受け継ぎたいもの。それは囲わない、くくらない、決めつけない思考。
斎藤さんは言っていた。障害当事者という表現に常に違和感があったと。携わる者が当事者だと。
人が社会に対して当事者性を抱き行動するとき、社会は変革する。
縁巴堂塾での勉強は、差別の構造を学び、自分自身を振り返るマインドトレーニング。
雨が降りしきる中、ソーネおおぞねのカフェや遊びのコーナーでは子どもたちの嬉しそうな声が止まなかった。わっぱの会の理念がカタチとなった会場で、意義深い開催となった。

縁巴堂サロン 聴ける・話せる・気づけるプラットフォーム
2026.5.16 サロンむくの木
テーマ「福祉用具の歴史と今」
福祉用具の歴史について株式会社ヤマシタ千種営業所福祉用具専門相談員の若山大輔さんから話を聴き、電動車いすの試乗をした。
「福祉用具」の定義は、日常生活に支障のある障害者や要介護者の生活の便宜を図るための用具、機能訓練のための用具。
介護保険制度開始とともに、1割でレンタルができるようになったのは画期的なことだったと改めて実感する。
若山さんは、自立支援の視点から、常に相談対応をしている。環境整備。つまり、環境を整えることで、用具を使用することで「できる」ことをサポートしている。多くの高齢者たちは特に杖や歩行器に抵抗がある。しかし、それを使い今までできていた散歩や買い物が継続できるならば、自立につながる。制度利用であることから、事前に予防としての使用ができないので難儀であることも指摘していた。
折り畳みができ、介助、自走のどちらもできる電動車いすを芝生の上で試乗。時速2キロ。6キロまでしか走れない。歩行者としての扱いで歩道を走行できる。
福祉用具の種類は多様化し事業者も数多い。人が福祉用具に合わせるのではなく、その人に合う福祉用具の提案。若山さんの的確な説明とやりがいを感じているイキイキとした姿が嬉しかった。今日のサロンのパッケージ。展開したい。

縁巴堂塾
2026.4.11 東桜会館
「部落差別」について考える
発足後第2回目の縁巴堂塾が「部落差別を考える」をテーマに4月11日に東桜会館で行われた。
明通寺元住職の北條義信さんと愛知県元職員の大橋充人さんとの対談、反差別人権研究所みえ事務局長松村元樹さんのコメント、そして二つのグループワークの流れで開催された。
部落差別の歴史をたどる上では、学校教育で教えられてきた江戸時代よりも遡って、平安時代、被災民が河原で暮らし始めた事や京都のお寺での出来事を振り返り、穢れとする「血・死・産」にかかわるものが底辺に追いやられつつ時の権力に利用されていたことを北條さんが集めてきた資料から学んだ。
1871年8月に明治政府が出した「解放令」の背景とその後の出来事も紹介された。
北條さんは2年前に行われた縁巴堂塾でも、生まれ育った寺の隣に部落があり交流した体験、そして住職の道に進む生い立ちを中心に話してくれている。
愛知県で人権問題を担当していた大橋さんは、部落差別の概要や歴史的経緯、解放運動と同和対策について簡単に触れつつ、北條さんの話へとつなげた。
松村さんは現在45歳。自身のルーツを知った10歳の時からの体験を語り、自身の現在の活動の中で行った20代のアンケートで、今も差別が解消されない現状を伝えてくれた。
グループワークでは、傍観者である自身や、部落内に嫁いだ朝鮮人としての記憶、学生時代におっかないところだから近づくなと大人に言われていたことを振り返った。参加者の中には韓国ルーツの人もいて、昔から出身地差別があり、現在では脱北者への差別が生まれ、差別は限りなく生まれると話し合った。そして1922年に発表された「水平社宣言」の原文をみなで読み、感想を語り合った。
北條さんは、水平社宣言の歌「フラット ウォーター ブルース」を熱唱し、「差別の反対は尊敬する。その方法は限りなく人と出あい続ける事」だと話した。
松村さんは、当事者の問題以外のマイノリティー課題、差別問題にどれだけコミットするかが自身の課題だと語った。それは、第1回縁巴堂塾で風媒社劉編集長と語りあったマイノリティーのアイデンティティにつながる。
囲いを作らず巴をくり返し連帯する。
人としての誇りを持つことと同時に他者を誇りに思える営みが縁巴堂塾の醍醐味だと感じた。。

縁巴堂サロン 聴ける・話せる・気づけるプラットフォーム
2026.3.21 サロンむくの木
テーマ「東洋医学の見方、考え方」
縁巴堂サロン
東洋医学とセルフケア
HAKU鍼灸サロン
白元英鍼灸師
自然の法則を身体と心を診る。
陰陽のバランス、五行と五臓の考え方を生活に取り入れ、自身でお灸をする時間を自身の心と身体との対話の時間にする。
生まれて初めてお灸体験した方、FBをみて参加していただいた方たちともご縁ができ、リラックスタイムとなりました。

縁巴堂塾
2026.2.14 名古屋市中文化センター
在日を俯瞰する―「外国人政策」の根幹に流れるものを考えながら―
巴堂塾が2月14日に名古屋市中文化センターで開催された。
風媒社編集長の劉永昇さんと、縁巴堂代表の金順愛が在日を俯瞰してみた。
「在日の話というと荷が重い感があるが、二人の対談は率直で、共通性と違いから、在日の複雑さ、多様さを認識できる場となった」と参加者の感想が聞けてほっとした。
出会ったのはたったの4,5年前だが何かがつながっていると感じていた。
二人はともに物心ついてから自身が朝鮮人であることを知っていたが、劉さんは隠し、金は隠してはいなかった。大学時代に本名を名乗り「アイデンティティーを一つにした」劉さんとは違い、朝鮮学校に通った金は、都合に合わせ通名と本名を使い分けていた。
劉さんは、マイノリティーでも堂々と生きていけばいいという安心感を得ようと、世界文学に求めた。マイノリティー。それは固定されるものではなく、在日だけの問題ではなく、限りない。マイノリティーが声をあげることが社会の気づきとして健全な社会づくりになるんではないだろうか… そして今、本をつくり、マイノリティーのアイデンティティーを発信している。
朝鮮学校に通い、同胞社会の中で生きてきた金の意識は、マジョリティーであったことを振り返る。そのマジョリティーの意識は、多くの在日同胞の中にあり、今の日本の社会に起こっている外国人政策-「他者化」しての排斥に対し、「よそ事」になっているのではないか…。入管問題…かつて在日がどれだけ闘って来たか。今、闘う人たちに在日が寄り添えらどんなにいいか。民族団体として。
劉さんは名古屋生まれ。引っ越しを何回もして、幼いころの写真はもう探せないとのことだった。同じ60代前半。両親たちが私たちをどのように愛し、育ててくれたか。劉さんが本名を名乗った時、喜んでくれたご両親の話に、幼いころの写真は見れなかったが、日本社会でどうにか傷つかずに育ってほしいとのオモニ、アボジたちの心配に思いを馳せる。
全員の自己紹介ではそれぞれの在日とのかかわり、そして在日は自身の振り返りを。韓国で生まれ育ち日本でマイノリティーを意識してこなかったが、この1,2年、自身の日本語がなまっていること、危害が加えられるのではないかとの恐怖を感じるようになったとの発言をする友人もいた。
劉さんは、加害者のトラウマ、被害者のトラウマ、社会のトラウマという視点からも話した。かつて関東大震災の朝鮮人虐殺をした人たちの精神に触れ、悪いことをしたとの反省のつらさを封印し、正当化することで、同じことを繰り返す… それは実際にその行為をしなくても、しっかり反省、清算しないことで、伝承してしまうことも指摘した。
国民とは何か。「在日」は今だ「日系朝鮮人」とか「日系韓国人」とか呼ばれることもなく呼んでほしいとも思わず、何もかもしっくりいかない。
人種としての日本人をくくることの非現実さを直視し、日本に住む、住んでいく在日外国人をソーシャルな国民として対応していくべきではないか。
豊橋で活動してきた「窓の会」代表の水谷さん、三河で「マダンの会」を立ち上げて活動してきた渡辺さん、「在日外国人の年金差別をなくす会」の現在の代表柴田さんも、ともに議論ができたことは、とてもありがたかった。
日本社会において、虐げられた者たちに寄り添い学び闘って来た先輩たちと、そしてこれから、社会を担っていく人たちとも、ともに学び実践していくプラットフォームとして、縁巴堂塾が楽しみだ。

縁巴堂サロン 聴ける・話せる・気づけるプラットフォーム
2025.12.6 サロンむくの木
テーマ「みなさんに読んでほしい!とっておきの本」
特別企画 絵本の朗読と音楽の調べ
見出し h6
なぜ縁巴堂を設立したのか。
世の中がどんどんAIだよりに流される中、人との不思議なご縁を大切に、学び合い振り返り、互いがエンパワメントしたい。
そんな価値観を発信する社会資源を巴(ともえ)たい。
あらきさんは大病を機に介護保険制度利用者となり、ケアマネの金が担当となったことがご縁の始まり。
読書にピアニストへの推し活、語学の勉強。抗がん剤治療をうけていながら常に考え行動する彼女をみなさんとつなげたい。
今回は、そんな思いからの企画した。
それぞれの自己紹介はまさにその過程となった。
それぞれが、今を語り思いを馳せる。
知多から駆けつけてくれたカンさん。「自分はがんになって良かった。いつ死ぬかわからないと思い、やりたい事を思い切りできた!」清々しいまでの笑顔。
ゲストのあらきさんの毒舌もみんなの気のなかでホワッと調和され心地よい。
絵本「zebra」をみんなで読み合わせ朗読!
そしてあらきさんにはフランス語で。ひらき座おおたさんが伴奏!シャンソン歌手であったあらきさん、「夜明けの歌」も披露する。
オーナーの今井さんはトランペットでクリスマスを奏でる!
ローゼルティーに、ハンメの食卓で持ち寄ったおやつをいただき、ゆずや柿もシェアし、あっという間のひとときが過ぎた!

縁巴堂の設立総会を2025年11月8日(土)に開催しました
縁巴堂(enpado)設立総会が名古屋市新栄にある東桜会館で11月8日に開催された。
縁巴堂とは、聴ける・話せる・気づけるプラットフォームとしての時と場を提供する社会資源、その目指すところは一人一人の自主性の実現、エンパワーメントとなる。
総会に先立ち、動画を基本とした記録を観ながら4年間の議論と活動の経過をふりかえった。
総会では、会則、事業計画、予算、代表が採決された。
全員によるスピーチ、そしてコリアンダイニング・ナミ特製弁当で懇親会を行った。
縁巴堂メンバーは、2021年12月からNPO法人ボランタリーネイバースの事務所を借りて、毎月一回の話し合いを続けてきた。
共通する社会課題は何か。そして何をしていくか。
支援する側とされる側が「固定」されている制度の中で、平等であるはずの人と人との関係性が見えなくなってはいないだろうか、支援する側が疲弊しているのではないか、差別是正の鍵がここにあるのではないか…。
発起人となった金は、在日同胞のためのNPO法人コリアンネットあいちの活動を通して、多文化共生社会の実現のために奔走する若者たちと出会った。そして自分自身、同胞コミュニティがどれだけ日本の地域社会と断絶しているか、それは内なる偏見、差別意識を助長しているのではないかと考えた。
同胞コミュニティから離れ、ケアマネとして地域社会に出て見えてきた事-多くの人々が社会の一員である意識が希薄である事。「誰かがやってくれる。なんのために生まれて来たんだろう」との受け身である事。それは在日も日本人も同じだ。
楽しく生きぬきたい、生きている間に何かをしたいという人とめぐり合ったときの学びがあった。自立・自律・「エンパワーメント」。こうして自分でライフプランを起てて行けたら社会は変わっていくのではないだろうか。
不思議な出逢いの「縁」を大切にしたい者たちの時と場を「巴(とも)えて」いく。
塾とサロン企画が主な活動となる。

